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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
「今年の目標」は?
何をやっても上手くいかない
失敗ばかりを繰り返す
目標を達成できたためしがない

自分はそんな人間だと感じている方に、
ちょっとしたヒントとして、
「今年の目標」の立て方について考えてみたいと思います。

まず、わたし自身の体験談です。

わたしは中学から20代前半まで、
年頭に必ず「今年の目標」を掲げていました。

ところが大変恥ずかしい話なのですが、
わたしはその目標を達成できたためしがなかったのです、
ただの一度も!

この結果はかなりのダメージでした。

毎年のように繰り返される失敗がボディプローのように効いてきて、
わたしはとても消極的な(受け身な)人間になってしまいました。

その頃の心境を思い出すと、
「目標を立てるから失敗する」
「望むから叶わない」
「本当にやりたいことは何もできない」
という悪循環、そのものだったのです。

しかし、冷静に当時の自分を分析してみると、
わたしは「失敗すべくして失敗して」いたことに気付くのです。

つまり言い換えると、
「達成できないことが容易に予測可能な目標を立てていた」だけなのです。

それはどういうことか?
当時はまったく考えもしなかったのですが、実はとても単純なことでした。

たとえばこれは、中学3年の時のとても恥ずかしい「今年の目標」です。

「彼女を作る」

これだけです(笑)
高校受験は合格が大前提ですから目標にすらしていませんでした。

現代とは事情が全く異なると思うのですが、
30年前、中学生で男女交際している者は皆無に等しかったのです、
北関東のわたしの周りでは。
高校に上がっても状況は同じです。
高校時代、一人も彼女がいなかった友人を何人も知っています。

そんな時代に「彼女を作る」ただ一つを一年の目標にしていたのです。
叶う方が難しいと思いませんか?

次ぎに高校1年の時の「今年の目標」です。

「作家デビューする」
「コンサートを開く」

当時は小説家に憧れ、
同時にギターの弾き語りに夢中になっていた時期です。

「思えば願いは叶う」
という考え方があります。
これは反面教師的な意味合いが強いと思うのですが、
「行動しなければ何も変わらない」という真理を
端的な言い表した言葉だとわたしは受け止めています。

しかし「何」を「どの程度」思えばいいのか?
やはり世の中には「無謀な願い」というものがあるのです。

物語を考えるのは好きだったけど、
まとまった作品を一度も完成させたことがない。
ギターも歌も独りよがりで全然上手くない。

わたしはそんな、無謀な願いを「無謀にも」一年の目標として掲げ続け、
そして自信を失っていったのです。

まさに「失敗の法則」の好事例なのでした。

次ぎに、昨年のわたしの「今年の目標」とその達成度です。

目標15件に対して、
達成できたのが12件。
未達成が3件でした。

ぜひここで、あまりにかけ離れた目標数に注目してください。

高校1年の時は2件です。
それがいまでは15件なのです。

昨年はたまたま高い達成度でしたが、
仮に達成度が60%だった場合、
達成は9件、未達成が6件となります。

逆からみると6件、達成できなかった。
6件「も」達成できなかった。
この数は、高校1年の未達2件の実に3倍です。

ところが受けるダメージは天地ほど違うと感じられませんか?

それは何故か?
失敗もあるけど、
達成できたことも確実にあったからに他なりません。

つまり「成功体験」を有しているからなのです。
これはこころのゆとりを生みます。
心のゆとりがあれば、未達成の目標に対しても素直に原因分析ができるし、
何よりも再チャレンジ、もしくは軌道修正ができるのです。

目標が「彼女を作る」だけでは、分析も軌道修正もできません。
翌年も運に任せて再チャレンジだけです。

これはわたしの実体験です。

「一時が万事」と古くから言われていますが、
なにも自ら進んで、一回の失敗や未達成で、
自分にレッテルを貼ることはないのです。

わたしは大袈裟な目標を立て、
立てただけで計画的に行動することもなく、
「自分はダメだ」とレッテルを貼り続けていたのです。

どうでしょう、
「自分と似てる」と感じた方はいらっしゃいますか?

さて、沢山目標を立てた方がいいとは言っても、やり方にコツがあります。
それは、幅広く目標を立てるのではなく、
思い浮かんだ1つの目標を深堀して、細分化して、展開していくのです。

仮にわたしが今「コンサートを開く」を目標とするなら、こんな感じです。

○週に1回以上練習する
○毎月、家族か友達に聞いてもらい、評価してもらう
○コンサートを開けるライブハウスを探す
○ライブの集客方法を研究する
○会社(学校)で案内し、反応をみる
○健康ランドのカラオケ大会に出場し、度胸を付ける
○3・5・7月に、駅前で路上ライブを体験してみる
○12月にコンサート開催

実は、目標とは「達成するまでの過程」でもあるのです。

この「コンサートを開く」が目標であるなら、
会場を借りてコンサートを開くまでもなく、
路上ライブで一定の達成感と満足感を味わえてしまうかもしれないのです。

またはカラオケ大会で辛口の批評を受け、
自分には過ぎた願いだと納得できるかもしれません。

しかし「コンサートを開く」が単に叶わなかったときと、
目標に至るプロセスをじっくり把握できることとでは、
気持ちのありようがまったく異なるのです。

何も行動しないで目標を達成できないだけでは、
ただ自分が惨めになるだけです。
わたしはそれを嫌になるほど体験してきました。

かつてのわたしのように立てた目標がいつも叶わないと思ってる方。
試しに「今年の目標」を立ててみてはいかがですか?

ちなみにわたしの「今年の目標」は、19個になってしまいました。
「数打ちゃ当たる」じゃないですが、
これだけ用意すれば、
どんなことがあっても最低1つは実現できると思いませんか?
| 社会論の試み、もしくは雑文 | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
喫煙室考(下)
【注意!この記事及び僕は、喫煙を推奨するものではありません】

「喫煙室考(上)」では喫煙室に関する弊害について書きました。
今回は、非難を承知で、喫煙室がもたらした恩恵について書きたいと思います。と言うか、僕自身が禁煙室に救われたという、きわめて個人的なケースと受け止めて下さい。

今でこそ全館禁煙になってしまいましたが、僕が手術のために入院していた頃、病院にはまだ喫煙室が存在しました。
この病院には喫煙室が2箇所あって、一つは階段下の半地下の薄暗く狭いところ。ここは病室から近いのですが、緊急時(?)以外は滅多に利用しませんでした。
もう一箇所は、8階建ての病棟の屋上にあり、大きな窓があって明るくて広いところ。もちろん僕は、こっちの屋上喫煙室がお気に入りでした。

入院中の僕は、起床時(6時)・朝食後・10時・昼食後・3時・夕食後・消灯前(9時)と、やたら規則的に喫煙室に通いました。友達や会社の人がお見舞いに来ない限り、2ヶ月の入院中、一日7本というこのペースはまったく変わらなかったのだから、今から思うと驚きです。

やがて(と言う割と直ぐ)、顔見知りの入院患者が出来ました。
名乗りあわなくても、お互いの病状などにも精通するようになって、不思議な連帯感が生じました(常連同士ですね)。たぶん患者は喫煙室でなくても比較的、話し好きになると思うんです。やはり退屈だし、同病相憐れむってヤツかなと思うのですが。

ここで僕は色んな患者さんと出会いました。
直腸癌で人工肛門になった人を、みんなで励ましました。
理不尽な看護婦さんの話題には、みんなが共感しました。
いつも彼氏がお見舞いに来ていた若い女性の死を、みんなで悼みました。
入院前に丸刈りにして、いつもバンダナを巻いていたおじいちゃん。
双子のような他人の患者さん(最初勘違いして、みんなが馴れ馴れしく話しかけた)。
辛い治療や後遺症で悩んでいた人も少なくなかったはずなのに、喫煙室はいつでも明るいお喋りが絶えませんでした。

僕は、とにかくこの喫煙室での雑談が楽しみでした。
抗癌剤のせいで、何も食べられずとんでもなく気持ちの悪かったときも、煙草も吸いたくないのに喫煙室には行きました。
実は白血球が減少してベッド上安静の時(無菌室一歩手前)も、看護婦さんに見つかって咎められやしないかとドキドキしながら、それでも喫煙室通いはやめませんでした(無謀だったなぁ)。

これは癌患者だけの問題ではないと思うのですが、会う人、話す相手が健康な人や医療従事者だけ、と言う状況って、なんだかとても孤独になるんです。病状を比較したいとかそういう事ではなくて、辛い治療で落ち込んだり、看護師や医師の無慈悲な処置に憤慨したりしているのは自分だけではなかった、この境遇の共有体験は、入院生活のQOL向上にとても貢献していたと思うのです。

しかし、お気に入りだった屋上の喫煙室は、今は喫煙テーブルが撤去されただけで、木製のベンチがコの字型に置いてあるだけの空間です。
定期検査の度に行ってみますが、パジャマ姿の入院患者さんを見る事はあまりありません。たまにいても、一人黙って座っているだけです。
僕が再発転移して、再びこの病院に入院するかと思うとゾッとします。

もちろん、娯楽室や図書室でも同じ機能は果たせたのかもしれません。事実、そういう病院もあるのでしょう。
でも、それにしても、あの禁煙室での出会いがとても懐かしいのです。
誤解を恐れず言いますが、あの時、僕は煙草が吸えてホントによかった、ホントに救われました。

病院は、禁煙室のような偶然の産物ではなくて、患者同士が気軽に集いコミュニケーション出来る空間作りを考えてみてはどうなんでしょうか?
入院生活のQOL向上は、設備や医療従事者の質だけが問題じゃないと思うんです。
閉じられた空間で、自分一人じゃないということ、同士がいるということ。そして「痛みを知る人間が人の痛みをいたわる」と言う、病院でしか起こりえない出会いを、大切に出来る仕掛けがあればいいなと、僕は心から願います。
| 社会論の試み、もしくは雑文 | 23:31 | - | trackbacks(0) | pookmark |
喫煙室考(上)
【注意!この記事及び僕は、喫煙を推奨するものではありません】

煙草を吸わない人にとって喫煙室は害あるのみで撤去すべき!とお思いでしょうが、僕は喫煙室・喫煙コーナーには、ある一定の特徴があると考えているのです。その特徴が、時にはある人達にメリットをもたらし、同時に別の人達にデメリットを生じさせてしまう、この不思議さについて、自分の体験を交えて書いてみます。

【セミナーでの出来事】

昨年、計5日間にわたる自己開発系のセミナーを受講しました。16人が4グループに分かれて演習などをしたのですが、5日間でメンバーは何度か入れ替わりました。結果、連帯感というか親近感は、ほぼ全員と共有出来るようになります。
で、会場禁煙ですから、休憩時間には喫煙者が喫煙室に集まります(これもたまたま4人)。
するとここで意見交換や情報共有が始まるんですね、人によっては講師の批判まで始めます。つまり喫煙者だけが得られる情報なり意見が出来てしまうのです。
開催者が意図しない、5日間、まったくメンバーの替わらない第5グループの誕生です。

【人に聞いた話(A社)】

ある会社でオフィスを禁煙にし、新たに喫煙室を設けたそうです。
で、どういう事が起こったかというと、喫煙室での喫煙タイムが、突然、業務の打合せになってしまう事が度々起こったというのです。この結果、社内での取り決めや予定などがその場の口頭で決まってしまい、煙草を吸わない者、たまたまその場にいなかった者に話が通っていない、と言う事態になってしまったのです。
A社ではとうとう、煙草を吸わない社員が、喫煙室に社員が集合しているのを見計らい、何となく喫煙室に入るようになってしまったそうです(分煙の意味がまったくありません)。

【人に聞いた話(B社)】

B社も禁煙室設置後、ほぼA社と似た傾向が見られるようになりました。
ただA社と根本的に違うのは、B社の取締役の一人が、本人がヘビースモーカーである事も関係あるのでしょうが、いったん喫煙室に入ると、間違いなく30分は帰ってこないというのです。で、何をしてるのかというと、たまたま一緒になった部下と延々と話をする、その間、煙草も3.4本吸うらしいです。1時間以上も喫煙室にいた事もあると(計っていたのか?!)。
喫煙室に暖房はなく冬はとても寒いのですが、彼はコートを着込んで喫煙室に居座る。これは最早、煙草を吸いたいという欲求以上の何かがあるのではないかと思えてならないそうです(まー、要するに情報収集なんでしょうね)。

喫煙、という行為が人を開放的にするとか、話し好きにするとか、そういう作用はないと思うんです。何故ならオフィスで従来通り自由に喫煙していて、その途端気分が変わって(ハイになって)誰かに話しかける、というシーンは見たことないし、自分も体験した事がありません。
これはあくまで「喫煙室」だけに起こる特異な現象なのではないかと思うんです。

では対抗して、煙草を吸わない人だけを対象にした小部屋を用意したらどうなるでしょう?あくまで憶測ですが、訪れる人は皆無だと思うんです。
喫煙という目的があるから「たまたま」人が集まる、そして「たまたま」集まっただけに過ぎないのに、その集まりに意味が発生してしまう。これは、(特に)組織においては、とても問題なんじゃないでしょうか?少なくても、健全とは思えません。

実際のところ、僕のいる会社も、似たような状況になってると思うんです。企業の健全化のためには、特定の社員だけが有効な情報を共有出来るという事態は改善しなければなりません(だって喫煙者という共通項にはまったく意味がないですからね)。
結局、オフィスのみならず建物全体を禁煙にするしか方法はないのかなーと思う、今日この頃です。
| 社会論の試み、もしくは雑文 | 23:14 | - | - | pookmark |