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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
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自分への癒しの試み[01]-父の記憶
「自分への癒しの試み」は、わたし尾内がずっと心に抱え続けてきた問題にどう振り回されてきたか、そしてどう解決していったかを出来るだけ正直に自己開示する物語です。
同時に、可能な限り冷静な分析を加え、セルフカウンセリングとは何かを感じ取るヒントにしたいとも考えます。
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ずっと逃れられないもの、
それはやっぱり生まれ育った家のこと。

家、というのは家族のこと。
父と母と兄と僕がいた家の、まずは父のことから語りはじめようと思います。

とても幼い頃の記憶は、断片的ながらも誰もが覚えているものなのではないでしょうか?
僕の記憶の中にも、父が大声で怒鳴っていて、母が泣いていて、
幼児らしい自分も泣いている情景が今も残っています。

その時、母は、荷物をまとめていたような気がする。
出て行け、出て行く、そんなやりとりも記憶にある。

幼児期の僕は両親と同じ部屋で寝ていました。
だからそれが一回だけの記憶なのか、
いくつもの似たような記憶が混ざり合ったものなのか、
それは今となっては判然しないのですが。

ただ、亡くなってから発見された母の日記を信じるなら、
父の言葉の暴力は結婚して直ぐ、
5歳上の兄が生まれる前から始まっていたらしいのです。

ことある毎に父は母に「出て行け!」と言ったとのことですが、
失笑を禁じ得ないのは当時の我が家は母の名義だったということです。

だらしのない父でしたが、そのだらしなさ故に母に依存せざるを得ず、
その劣等感が増幅して母にぶつけられたのかもしれません。

自分が生まれる前の両親のいざこざは、一見わたし本人には無関係なようですが、
僕は母の残した日記により、実に多くの気づきを得ました。

「自分を知るとは自分の存在を位置づけること」
とも考えられると思います。
  
よくあるケースとして、血族の中の存在位置が強烈な呪縛となって、
自由に生きられないと感じる人が少なくないと聞きます。
しかし家族というしがらみ、伝統、家柄を気にする必要のまったくなかった僕は、
とても身軽で、自由で、ありがたい環境だとはっきり認識していました。
(定期的な親類の集まりなどもなく、冠婚葬祭の参加も強要されなかった等)

ところが後に思い至ったのは、その「どうでもいい家系」が逆に、
僕の自己存在を「いいかげん」にしてしまったのではないか
ということです。

  それは長い間、僕にとって両親とは
「許すか許さないか」で計られる対象でしたかなかったいうことなのでした。

父は酒乱でした。
別に珍しくもないのかも知れないですが。

父は家ではほとんど飲まないのですが、いったん出掛けると、
必ず(本当にかならず)酒乱になって帰ってきました。

少年時代になると、父は恐怖の対象でした。
父は大声で叫びながら帰ってきたので、
何分も前から父が帰宅することは分かったのです。

「コンチクショー!」
「バカヤロー!」
「死んじまえ!」
何が気にくわないんだか、そう叫びながら歩いて帰ってくるのです。

恐怖がやってくる。
鬼が帰ってくる。
恐ろしい咆哮がだんだんに近づくにつれ、僕の身体は凍り付きました。

僕は、父の声を遠くに聞き取ると、布団に潜り込んで、
どうか僕の部屋には来ないでくれ、
酔いつぶれてそのまま寝むってくれと祈り続けたのでした。
| 自分への癒しの試み | 17:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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