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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
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自分への癒しの試み[02]-憎悪を手に入れて
父は暴力は振るいませんでした。
だから、我が家は最悪ではない、
最低ではないと信じられます。

しかし、虐待がなかったから問題にはならないのではないか?
とは、自分としては絶対的に納得いかないのです。

酔った父は、僕の枕元に来ると決まって僕に呼びかけます。
寝たふりを続けても、執拗に呼びかけます。
そして観念して返事をしようものなら、こう言うのです。
「早く寝ろ」と。

お前が起こしたんだろ?
お前が来なければ寝てたんだよ!

言ったところで始まりません。
僕は何時間も父の繰り言に付き合わされることになるのです。
(それは脈略のない誰かに対する不満や罵声でした)

やがて兄が、高校を卒業して東京の大学に通うために家を出ました。
特に話したことはないのですが(というか中学生になったばかりの少年に、兄弟で父親について語り合う術などありませんでした)
兄は父親が嫌いで家を飛び出すんだと信じていました。

僕は心の中でエールを送りました。
「こんな家、飛び出しちゃっていいんだよ。僕も行くから。
兄貴はこの家のことなんて忘れちゃえ!」

しかし、兄がいなくなってからこそが、父の酒乱に怯える日々の始まりだったのです。
とうとう母も限界に達したのか、父が飲みに出掛けたと感づくと、
店を早めに閉めて友達と出かけてしまうようになったのです。
(母は小料理屋を営んでいました)

必然的に、父は僕のところにしか来なくなります。
母がいないと怒って、暴れて玄関を壊したこともありました。
電話機を引きちぎって放り投げる。
テーブルやコタツを破壊する。

人に暴力振るわなかったのは不幸中の幸いですが、
家族に暴力振るったら、それはもう「人」じゃないでしょう。

どうしてもイヤで、父が部屋に来る直前に、窓から逃げ出したこともあります。
あてどなく、パジャマに裸足で近所をさまよいました。
中学生の頃は、恐怖というより悲しみが心を支配していました。
自分の境遇が、哀れでならなかったのです。

やがて僕は、高校に進学しました。
ある程度、相対的に父のこと、自分のことを考えられるようになっていました。
高校で新たな友人を得、その交遊の中で様々な家庭の存在を知ることになりました。
経済的に深刻な家。
両親が家庭内離婚状態の家。
片親の家。
そこで知ったことは、ようするに僕は大して不幸ではないのだ、という知識でした。
しかし知識だけでは、僕の納得出来ない環境を劇的な変革してはくれません。

仮に僕が不幸でないにしろ、ろくでなしで酒乱の父は存在をやめないのです。
高校生になって、主体的に生きようと思ったとき、
僕は父の存在を底辺から否定するしかなかったのです。
恐怖や不安と決別するために
怒りと憎しみを以て。

  客観と主観は恐ろしいほど遠い関係です。
  様々な虐待の体験記録などを読めば、
  自分はなんとラッキーだったのだろうと感じられました。
  しかし、我が身をふり返ってみれば、
  そこには傷ついた子供が一人で震えているのです。
  この記憶を消し去ることはできない。
  というか、可哀想でならない。
  大人となり、不自由のない生活を営み、
  地方都市では充分な社会的地位も得ながら、
  だけど記憶の中の子供はずっと怯えているのです。

  この大人の自分と震えている子供の自分とを和解させない限り、
  この問題はいつまでも自分の傷であり続けるしかないのです。

  やがて大人になっても僕は、震えている少年を思い出すと、
  たちまち「その時」の自分と同化してしまいました。
  同化して、心を充たすのは怒りと憎しみです。
  「怒りと憎しみ」で父を否定し、
  僕はかろうじて自分を律していたのです。
| 自分への癒しの試み | 17:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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