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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
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自分への癒しの試み[03]-父からもらったもの、僕がほしかったもの
父は母と出会った頃、町工場に勤めていました。
その頃、母の兄が飲食業を始め、
兄弟結束のためなのか、戦略上のことなのか、
弟たちに暖簾分けをし始めたのです。
その話は、父にも持ちかけられました。
母の日記によると、母は反対だったらしいのです。
現実的な母は、
水商売より会社勤めのほうが間違いないと考えていたようです。

しかし、元々父は会社勤めは合わなかったらしく、
母が止めるのも聞かずに工場をやめ、水商売の道を歩き始めたのでした。

ちょうど高度成長時代にも突入しました。
商売はそこそみ順調だったようです。

しかし父は、商売の才能があるどころか、
致命的な性格の問題点が露呈し始めたのです。

それが酒乱、そして賭け事、そして、女でした。

父は常連客や板前としばしば賭け麻雀や花札に興じ、
結果、常連客とはケンカし、板前もやめていくことが度重なったのです。

仕事だって適当です。
僕は小学生の頃、父の車に乗せられて、
競馬や競艇に連れて行かれたことをよく覚えています。

女性問題に関しては、後におぞましい出来事を知るのですが(後日述べます)
母の日記によると、酔って帰った父は、
どこの誰々と遊んだとか、一緒に飲んだとか、
あとはもっと聞きたくないことまでを、
寝ていた母を起こしてくどくど説明したのだそうです。

妻としての自尊心など、もはや崩壊していたと察します。
(母についてはまた別途)

いい加減に仕事をしていた父のせいで家計も厳しくなり、
やがて母が自宅を増築して、小料理屋を始めることになったのです。
それは僕が小学5年の時でした。
だから数年間でしたが、両親が別々の店を営んでいたのです。

父はやがて、店を畳みます。
(というか、経営が成り立たなくなったのですが)
そして長距離トラックの運転手となりました。
しかしやがて勝手にそれも辞めると、母の店を手伝い、
そのうちそれもやらなくなり、最終的にどうなったかと言えば、
父は母に養ってもらうようになったのです。

養ってもらってお金をせびって、
それでギャンブルしたり飲んで酒乱になって破壊活動をしたり、
それが、僕の父でした。

  僕が生まれる以前のことは、母から聞かされました。
  しかし小学生以降の出来事は、全て僕自身が見て、
  聞いて知っていたことです。
  休日、競馬や競艇に連れられていったことは、僕も男の子だから、
  疾走する馬やボートを見るのは楽しかったですから、
  その時はなんとも思わなかったのです。

  実は父は、素面のときはとても次男の僕を可愛がっていたようです。
  母の日記にも、それだけが救いだと書いてありました。
  しかしこの「可愛がる」がとても問題なんだと思うのです。
  可愛がられたから親に慕うのか、親を尊敬出来るのか?
  と問えば、それは次元が異なると思うのです。

  僕は父に可愛がられた、可愛がってくれた父を今は否定しませんが、
  その行為、さらには彼の普段の行い、発言に、
  当時からまったく敬意を抱けなかったのは
  間違いのない事実なのです。

  「父」とはつまりなんなのだろう?
  父だけじゃないですね、「親」とは何なのだろう。
  子供にとって最低限、絶対に必要なのは「安心」だと思うのです。
  色んな意味を含めての「安心」です。
  可愛がるは行為する側が主体であり、
  安心を受け止めるのは、あくまで子供が主体、とも言えると思います。

  どんなに可愛がったと言われても、実際に可愛がられても、
  僕は父に「安心」を見いだせなかったということ。
  好き嫌い以前です。

  父親たり得なかった僕の父の問題の本質は、
  まさにここにあったのだと思うのです。
| 自分への癒しの試み | 19:23 | comments(0) | - | pookmark |