SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
<< 自分への癒しの試み[04]-父の生きる価値 | main | 自分への癒しの試み[06]-呪縛を解く鍵 >>
自分への癒しの試み[05]-鏡の中の父
高校を卒業して、僕も東京に向かいました。
何かがしたかったわけではない、
何もしたくなかったから。

とにかくあの家から離れること、
それだけが僕の動機の全てだったのかもしれません。
(しかしそれは単なる衝動だったわけです)

暗いトイレが共同の安いアパートを借り、楽そうなアルバイトを探して、適当に働いて生活費を手に入れました。

  今ならフリーターという便利な言葉がある。
  しかし当時の僕の状態は「プータロー」もしくは「アルバイト生活者」
  当時はバブル黎明期でもあったわけですから、
  はっきり言ってその恩恵を受けずに生きる自分は、
  人生の落伍者そのものだったと今でも感じます。
  それは当時もある程度、自覚があった。
  自覚があったから余計に、僕は卑屈になっていったのでした。

週に一度は酔った父から電話がありました。
適当に相づちを打つこともありました。
一方的に切ったこともありました。

この頃の父は、単に迷惑な存在に過ぎなくなっていました。
迷惑だけども対岸の火事、みたいな感じで。
もうどうでもいい。
家がどうなってもいい。
当時は本当にそう思っていました。
何故なら一生帰るつもりもなかったから。
そういう意味では適度な距離感が保てていた時期だったと思います。

ただ、父のせいにするつもりはありませんが、
この頃の僕は、未来に絶望しか予感できない、
廃退的で快楽主義的な生活をただ繰り返す人間になっていました。

いつかここ(東京)にいられなくなったら、一切の関係を断ち切って、
北海道か九州の小さな町で貧しく生きる、老いた自分の姿がぼんやりと見えました。

  何かに絶望しても、失敗しても、
  僕には逃げ帰る場所はないのだと思っていたのです。
  逃げ込む場所、避難所、安心出来る場所、
  その存在が、人の自立の基盤なのではないか?
  今はそう感じられてなりませんが。

上京して6年、僕は24になっていました。
ある日、母から電話が入り、父が倒れたというのです。
本心、それはどうでもいいこと、迷惑なことなのだけど、母が取り乱していることもあり、
僕はバイトを休んで帰省しました。

母に詳しく経過を聞いて、僕は心配するとか哀れだと思う以前に、
なぜ、このまま死ななかったのかと本気で思いました。

すでに仕事もしないで母に養ってもらっていた父には、
どうしても叶えたい望みがあったのです。
それはカツラです。
髪が薄いことをとても気にしていた父は、カツラが欲しくてならなかったのです。
そして、一円も稼いでいないというのに母にねだり続け、
とうとうカツラを買わせたのでした。

しかし、それが彼にとっては不幸の始まりでした。
カツラが届いた日、早速カツラを装着し、意気揚々と飲みに出掛けた父は、
嬉しかったんでしょうね、たぶんいつも以上に飲み、
翌朝、身体が言うことを聞かず、動けなくなっていたのです。

脳梗塞でした。

病院では24時間家族が付き添うようにと言われました。
母にはしかし、毎夜仕事があります。
母に懇願されて、僕はバイト先に電話で、しばらく休ませて欲しいとお願いしました。
そして奇妙な、僕の付き添いの日々が始まったのです。

僕は昼間、母と交替する時間以外をずっと父のベッドの傍らで過ごしました。
食事の補助、排尿排泄、点滴の確認など、今でも不思議なのは、
なんでこれほど憎んでいた父の介抱ができたのか、今もって自分でもわからないのです。
(やはり心の底では親を大切に思っていた、なんて感想は抱かないで下さい)

そういう世話をする以外の時間は、持ち込んだ文庫本を読んだり、
スケッチブックに窓から見える風景などを描いたりして過ごしました。
夜は、ベッドの傍らに、床に直接マットを敷いて寝ました。
そんな生活を2週間くらい続けたと思います。

しかしこのときの経験が、僕に今までなかった感情を抱かせました。

僕は、ベッドに横たわり、話すことも出来ず、身体も自由にならない父の姿に、未来の自分の姿を見出してしまったのです。

今この時のことしか考えず、定職にも就かず、
バイトを何度も替えながら遊び呆けている僕の、
間違いのない未来の姿がそこにありました。

その情景が浮かんだときに感じたのは、
限りのない恐怖でした。
それは、絶対に知りたくない、見ようとしてこなかった、
未来が見える鏡、そのものだったのです。

  この経験がなかったら、果たして今の自分があったのかどうか
  まったく自信が持てません。
  たぶん僕は、まったく違う人生を歩いていたことでしょう。
  そしてそれは、薄汚れてじめじめした、
  孤独な人生だったと思うのです。

  それ故に、父の存在が今の自分を作り上げている、
  と感じることもあります。
  そこまで父を否定する気持ちは、当時も今もありません。

  ただこの経験は、僕の自立性にのみ関係し、
  このことによって父への思いが変わったわけではありませんでした。

ではなぜ、憎む父の介抱が出来たのか?
それは単に、
母一人では介護は不可能だと、観念しただけだったのだと思うのです。
| 自分への癒しの試み | 21:07 | comments(0) | - | pookmark |