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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
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自分への癒しの試み[07]父であるだけで「家族」なのか?
父、それは迷惑な存在でした。

父が脳梗塞で倒れる何年か前から、母には「なんで離婚しないの?」と暗に離婚を勧めていたのですが、昭和一桁世代にとって、離婚はやはり勇気のいることだったようです。

気持ちはとっくの昔に切れたまま、父が脳梗塞となって、今更母の気持ちが傾くはずがありません。
僕は冷酷にも結婚という理屈で家を出ましたが、母は大嫌いな、そして憎んであまりある男と、一つ屋根の下で暮らし続ける定めだったのです。
しかも介護が伴いつつ。

「死んじゃえばいいのにね」
「車にひかれるのがいいよね、慰謝料もらえるし」
なんて会話を平然と交わす親子でした。

しかし生憎父は、身体だけは頑丈でした。
毎日午前午後と1時間ずつ散歩をし、大好きだったお酒もほとんど飲まなくなり、煙草もやめ、果実を多く取り、たぶん生涯で最も肉体的には健康な時期だったのではないでしょうか。

しかし、体力は保てても、脳は立ち止まってはくれなかったのです。
脳梗塞で倒れてから10数年後、父の脳はとうとう壊滅的な状況に達したのでした。

言動、行動が確実におかしくなりました。
父の場合はそれが独特で、まず「片付ける」「華麗にする」ということに対する理解が崩壊しました。今、目の前の汚れや散らかりようが、「汚れている」とか「散らかっている」と認識出来なくなってしまったのです。

他には食事に対する執着、偏向。
徘徊。理解しがたい言動などなど。

当時はまだまだ「認知症(その頃は痴呆症)」に対する世間の目も温かくありませんでした。
親の面倒は家族がみる。
それが当然だったのです(わずか10年前でもそんなものでした)

母は既に小料理屋を閉じていました。
一日中、言動のおかしな父といて、母はノイローゼになってしまいました。
どうにかしなければならない。
それは分かってはいます。
しかし僕との「同居」はまったくの想定外です。
母もそこに希望は見出していませんでした。

父の問題は「他の家族が補助するもの」なのではなく「如何に排除するか」に尽きていました。

冷たい、冷酷、非道・・・と思われるでしょうか?
非難は甘んじて受けますが、残念ながら母と僕は、彼が死ぬまで彼を許せませんでしたし、あの頃の二人の対応についても、後悔することは一切ありません。

「死ななかったあいつが悪い」のです。
「生き残ったあいつが悪い」だけなのです。

では「排除」するためにはどうすればいいのか?
もちろん「殺害する」なんて選択肢はまったく持っていませんでした。
(その次元までの憎しみや怒りではなかったことも分かっていたのです)

いくつか、老人専門の病院にも相談しました。
ある病院では深く理解してもらえました。
ただし、そこは遠いのです。
また入所の条件が「毎週、洗濯物を取りに来ること」だったので、
それがネックとなりました。

別の病院では逆にお説教されてしまいました。
「この程度なんだから家族で面倒見るべき」だと。

家族家族家族
人はそれで何でも片付けようとします。
しかし「家族」ってなんですか?
血がつながっていること以外には何も条件となり得ないのですか?

母と僕にとっては、少なくとも「あの男」は家族ではなかったのです。

父の営む飲食店が景気よかった頃、
「うちもそろそろ土地買って家を建てよう」といった母に、
「俺は車だけあれば家なんかいらない」と答えた男です。

土地は借地のままで、母名義の上物の家だけを父名義に変更しただけで、
一家の主としてビジョンや目標を一切共有してこなかった父を、
便宜上「父」と呼びますが、
どうして「家族」と思わなければいけないのでしょうか?

しかしその「家族」の排除に対して世間がまったく同情してくれないことに、
母と僕は深く絶望したのでした。

  この程度でもこんな感じなのです。

  DV、幼児虐待、ネグレスト、
  どうして防げなかったのかと事件のたびに話題となりますが、
  「愛」や「いたわり」「慈しみ」の存在しない「家庭」を認めない限り
  (言い換えれば「家庭」に対する幻想を捨てきらない限り)、
  悲惨な事件は一向になくならないと思うのです。

  夜道の一人歩きが「ある条件下」ではきわめて危険なように
  残念ながら家庭も「ある条件下」では絶望的に危険なことを
  知って欲しいと切に願います。
| 自分への癒しの試み | 20:57 | comments(0) | - | pookmark |