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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
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自分への癒しの試み[12]兄弟という存在
兄について触れますが、あくまで僕の自己変容がテーマです。

実は、存命の兄弟について語ることについてはかなり悩みました。
しかしこれは、弟の感情と心が問題なのであって、この記事を以てして兄という存在や人格を評価するものではまったくないこと。
また、書きたいのは兄弟物語ではなく、僕自身の自己変容であること。
これらの気持ちの整理をきちんとつけた結果、逆に書く目的がより鮮明になってきたのです。

結論から述べれば、これは僕にとっての「家族観」なのです。
というか、自分の家族観を認識できていなかっただけのことで、僕は長い間悩んでいたにすぎない、そしてそれが「兄弟」というフィルターを通し改めて気付かされたのです。
だから兄弟を語ることは、僕にとって「家族」について考えることと同じなのです。

では、「僕にとって兄はどんな存在だったか」から、この章を始めましょう。

兄の存在は、とても曖昧でした。

5つ離れていたので、仲良く遊んだ記憶はほとんどありません。
兄は、僕の誕生を心待ちにし、赤ん坊の頃はずいぶん面倒を見てくれたそうです。
しかし残念ながら、その頃の記憶はまったく残っていません。
それらをしっかりと記憶していたら、果たして僕のその後の認識は変わったのだろうか?
仮定で考えると、なにか「なくしてしまった」ような心持ちになります。
しかしそれは、「優しくて家族思いの父がいたら」と想像することと、どこも違わないのではないかとも思えるのです。

しかし同時に兄は、常に自分の先を行く、先輩であり先生であり、見本でした。
兄が面白いというものには興味を示して、
兄が勧めるものは何でも受け容れてきました。
今も僕が持ち続けている趣味嗜好は、たぶんに兄の影響を受けているのです。
これは疑うことも否定することもできません。
兄は、幼稚な僕に「背伸び」という優越感を与えてくれる貴重な存在なのでした。

どっちも僕の兄です。
どちらも間違いなく兄だから、逆にある時期から兄の存在が僕の中で曖昧になってしまったのです。

兄は優秀で、地元一の進学校に進みました。
と同時に、兄にとって念願だった音楽教室にも通い始めました。

中学時代は水泳部、三年の時には写真部を仲間と一緒に作り、高校生になっては弁論部で賞をもらう、そして音楽にも真剣に取り組む。
そんな兄は憧れの存在で、自分の進む道を常にしっかりと認識している人だと思っていました。
(中学生の僕は、漠然とそんな感じを抱いていただけですが)

しかしやがて兄は、意外にも音楽家を志し、東京の音楽大学進学を選択したのです。
そう聞かされて(たぶん母に)、とにかく僕は驚きました。
しかし同時に、とても納得できることでもありました。

兄が家を出る。
音楽家を目指したと言っても、実は父から逃れる意図もあるはずだと僕は感じました。
それは当然だと思いました。
そしてやがて僕が進む道筋を、また兄が切り開いてくれたのだとも解釈したのでした。

このとき僕は中学一年。
兄から強い影響を受けていましたから、僕の目指す道も、必然的に音楽家になったのでした。
楽器なんかほとんど弾けないのに。
兄の進む道はキラキラと輝き、自分はただ兄についていけばいいのです。
そう信じていたのでした。
| 自分への癒しの試み | 19:22 | comments(0) | - | pookmark |