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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
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自分への癒しの試み[13]二人切りの家族
兄のいない数年間は、とにかくどん底のような状態でした。
父の章でも書きましたが、母が父から逃げるために家を留守にする機会が増え、だらしない僕は寝坊してそのまま学校を休むことも度々でした。
食事の用意がないことも珍しくなく、何日もインスタントラーメンを食べたり、古く固いご飯を炒めただけで食べたりしました。

そんな毎日の中で思うことは、この家を飛び出したいということ。
そして、兄に会いたいということでした。

たまに帰省する兄はますます大人びて、僕の望むものを全て持ち合わせているように感じられました。
とにかく話がしたかったのです。
兄がきっと、この惨めな現実から僕を逃がしてくれると思っていたから。

兄が上京してすぐから、僕は東京に出掛けたくて仕方がありませんでした。
単に都会の空気に触れたかったということもありますが、とにかく自宅以外で兄に会いたかったのです。
しかし中学時代は、とうとう一度もその願いは叶いませんでした。
こんな崩壊しているような家庭でしたが、なぜか僕は黙って勝手に出掛けられなかった。
やがて高校生になると、友達の部屋を泊まり歩いて家にもあまり帰らなくなるというのに、中学時代はまだ、自分が勝手に生きていいとは思えなかったようです。

高校に上がって、ようやく僕は、東京に一人で出掛けられるようになりました。
最初は、母も知っている友達と一緒。
彼と何度か日帰りで東京に遊びに行き、やがて一人でも出掛けるようになっていったのです。

東京は刺激的な街でした。
秋葉原はよく行った街です。
今はすっかり綺麗になってしまいましたが、あの頃は汚くて怪しい雰囲気が充満していました。

初めて行った新宿では、あまりに巨大な駅ビルに圧倒されました。
そして信じられないほどの人の数。

ある時、兄がアパートを引っ越すと聞きました。
一人では大変だろうからと、僕は猛烈に手伝いを買って出ました。
泊まって兄とゆっくり話すチャンスなのです。

僕にはどうしても話したいことがありました。
もちろん、家族のことです。

弟が家族について語る能力を有する前に、兄は家を出てしまいました。
兄が上京した後が、父がもっとも荒れていた時期です。
しかも母は父から逃げるために家事を疎かにしていました。
僕の苦しみを知るものは誰もいないのです。
父の対する恨み辛みを、誰かに聞いてほしかったのです。
しかしそれは他人じゃダメだったのです。

その頃の僕にとっては、兄だけが家族と呼べる存在でした。
父も母も家族じゃない、家族と思いたくありませんでした。

その頃夢見ていたのは「実は僕達兄弟は養子で、本当の両親はどこかにいる」という妄想。
高校生にもなって、僕はそんなことを夢想して自分を慰めていたのです。

それは高校一年の春休みだったと思います。
僕は兄から詳しく教えられた通りに地下鉄を乗り継ぎ、一人で兄のアパートに到着することができました。
たしか四畳半で、兄はここで新聞配達のバイトをしながら音楽大学に通い、そして生活していたのです。

日用品は少ないものでした。
レンタカーのワンボックスカーに全てが一回で納まってしまい、兄はその日のうちに新しいアパートに越してしまいました。

連れ立って銭湯に行って、定食屋で夕飯を食べ、二人は音楽のことを中心に止めどなく喋り続けました。
やがて夜になり、電気を消して二人は横になりました。
僕は思いきって、父について切り出しました。
たぶん「お兄ちゃんはお父さんのこと、どう思っているの?」と聞いたのだと思います。
そしてきっと、僕が舐めてきた苦い経験と同じことを話してくれるのだと思っていました。

僕達はもらわれてきた兄弟で、どんな荒波も苦しみも分かち合ってきたのだと、僕は信じて疑わなかったのでした。
| 自分への癒しの試み | 21:22 | comments(0) | - | pookmark |