SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

12
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
<< 自分への癒しの試み[16]母親の役割 | main | 自分への癒しの試み[18]一人の女としての母 >>
自分への癒しの試み[17]母親としての母
今、母を責める気はまったくないのですが、僕には2つ、人より明らかに劣っているとろこがありました。
それはペンの持ち方と箸の持ち方です。

実は僕は左利きで、就学前に無理矢理、鉛筆と箸を右で持つように直されたのです。
(40年前はそういう時代でした)
しかしそれが中途半場な直し方だった。
僕はとても変な持ち方を覚えてしまい、字を書くのがとてもヘタでした。
箸も、細かいものなど何もつまめません。
食事はいつも掻き込むようにして食べていました。

母の日記を読むと、小学1年の通信簿に「文字が著しく汚い」と書かれていてショックを受けた、と書かれています。
「そういうことに気を回せなかった自分が恥ずかしい。母親として申し訳ない」とも書かれていました。

しかし、記憶している限り、それを契機に鉛筆の持ち方に関して注意されたことも、教えてもらったこともありません。
事実、僕は高校に進学するまで、その非常に間違った持ち方を続けていたのですから。
(余談ですが、鉛筆も箸も、高校に上がって自意識に目覚めて、人に見られるのが恥ずかしくて自分で直したのです)

これは一例ですが、実は母のことを思い返すとき、思い浮かぶのは「放任」です。
細かいことまで管理されるよりはマシだったと今でも思いますし、放任されたことに恨みも悔いもありません。

ただ、自分のいい加減さを棚に上げて書きますが、小学5年の時の林間学校を欠席したのは、当日寝坊したからでした。
なぜ寝坊したのか?
5歳年上の兄の影響で、当時隆盛を誇っていたラジオの深夜放送にはまっていて、就寝時間が著しく遅かったから。
そして、母が前日から友達と旅行に出かけていて、起こしてもらえなかったからです。

もちろん僕の自己管理がなってなかったのですが、
どうなんだろ?
「普通」の家庭だったら、それでも母親は起こしてくれたんじゃないだろうか?
そんな思いがいつまでも、いつまでも消えませんでした。

僕が高校に上がった頃が、父の酒乱が一番ひどかったときで、同時に、母が家事をほとんどしなかった時期でもありました。

朝になって、着ていくワイシャツがない、靴下がない。そんなことが何度もありました。
洗濯かごの中から、比較的汚れていないワイシャツを選んで、着ていったこともありました。
日曜になると自分で洗濯して、自分で畳みました。
食事は、家の一角で料理屋をしていましたから、空腹になると調理場に行って、勝手に取り分けてくるのです。
ご飯なんか何日も炊飯器に入れたままで、カラカラになっていたりもしました。

もちろん、甘えてないで自分で何でもやればいいだけです。
実際、そうしている友人もいましたし。

しかし、どうしても比較して自分は幸せだったと思うことができない。
・・・できないのです。

母は料理屋を営んでましたから、客に勧められればお酒も飲みます。
酔っぱらった母も大嫌いでした。
酔って抱きついてきたりすると、虫ずが走りました。

とてもだらしなく感じられました、母が。
箸の持ち方もちゃんと教えられず、家事もしない、一人で父から逃げ、遊び歩いてばかりの派手な化粧をした酔っぱらい、そんな母が大嫌いだったのです。

そのくせ、「shigeoはお兄ちゃんみたいに遠くに行かないで」と、何度も何度も繰り返し言う母。
「shigeoがいなくなったら、母さん、生きてられないから」とも言う母。

しかし、そう懇願されればされるだけ、僕の気持ちは離れて行きました。
そこは家庭であって「家庭」ではありません。
血はつながっていても、家族と思えなかったのです。
| 自分への癒しの試み | 23:12 | - | - | pookmark |