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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
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自分への癒しの試み[19]この作業の意味
何のために、こんな作業をするのか?
人は「それは推察にすぎないのでは?」と思うでしょう。
「自分に都合の良いように勝手に作り替えてるんじゃないの?」
と思われる方もいるでしょう。

もちろん、その通りなんです。
でも、客観的かどうかの尺度も、僕の中だけにある。
客観的な推察だと判断しているのも主観であり当事者である自分。

仮に、誰か第三者が「お母さんの生涯の意味はこうだ」と言ったとしましょう。
でも僕がその案を受け容れられなかったら、それも推論に過ぎないのです。

となると、客観的かどうかは、もはや無意味とも言えます。

「癒し」という作業は、きわめて主観的で、どのようなファクターを用いても、主観できなければ癒しにはいたらないでしょう。

例えば人生相談で、時として(キャラクターによって)強烈で断定的な指示がなされることがあります。
受容も共感もなく叱咤にも似たそのアドバイスに、感じ入って涙を流し、変容を誓う人もいるわけです。

「癒し」とはようするにこういうことなのではないか?
つまり、客観性や共感があった方がいいであろうが、別になくてもいい。
更に強調すれば「癒される」体験に、セオリーやマニュアルは存在しないのだと感じるのです。

翻って僕のこの作業の意味。
これは長く根気のいるセルフカウンセリングです。
相談者には、とても勧められません。
だからある意味これは、自分を被験者とした実験でもあるわけです。

自らが癒されるという体験。
そして、多くのカウンセラーが語ることをしない自己を開示することで、いったい何が変わるのか、それを知りたいと思うのです。
そして相談者が、尾内繁夫という一人のカウンセラーを知る、指標の一つになればいい。
それとこの過程で、自分がいくつかの気づきを得られればいい。

そしてこの過程で、僕は多くの気づきを得てきました。
その気づきの一つ一つは、形は違っていても、誰もが抱えてしまいやすい「悩み」と、源泉が同じなのです。
換言すれば、カウンセリングで知る相談者の問題の本質と同じものが、実は自分の中にもあった。
この気づきは、カウンセリングという、人の心の機微を取り扱う仕事において、尾内繁夫というカウンセラーの特徴となりうると感じられたのです。

なんでも類型化して自分の体験や印象に引き寄せることは、相談者不在の自己満足ですから避けなければなりませんが、「判る」ではなく「分かる」といえる力、「知る」ではなく「識る」といえる変化が、この作業を通して明らかに自分の中で起こりました。

人は、矛盾を抱えて生きる存在です。
その矛盾をネガティブにとらえたとき、多くの悩み、辛さ、難しさが生じる。
その矛盾を肯定的なとらえられたとき、「生きづらさ」の要因の多くは消え去るのではないか?
そんなことを感じつつ僕は、この果てしないセルフカウンセリングを続けています。
| 自分への癒しの試み | 23:13 | - | - | pookmark |