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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
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自分への癒しの試み[最終回]自分の時間を生きるために
母は、平成18年5月9日に亡くなりました。
その一ヶ月前、僕は娘たちを連れ、母と一緒に父の墓参りに行きました。
墓参りは簡単に済ませ、途中にある雰囲気のいい蕎麦屋で蕎麦を御馳走し(母は珍しいヨモギ蕎麦を注文しましたが、色が蓬色なだけで、香りはほとんどしなかったとぼやいてました)、帰路にある、あまり知られていない、しだれ桜が見事な場所に立ち寄ったのです。

実はその前年、やはり墓参りの帰りに、ふと思い出して母をそこに連れて行きました。
「こんな見事な、しだれ桜は見たことない」
そういって母はとても喜んでくれました。
死後読んだ日記にも、その通りのことが書かれていました。
そして「幸せな一日だった」とも。

母は喘息持ちで、あまり長く外出ができません。
前年は家族での花見に誘ったのですが、この年は体調との折り合いがつかず、一緒に行けないままでいました。

だから墓参りはどちらかというと、ついでで、母が喜んだしだれ桜をまた見せたい、しかも大好きな孫と一緒に。
そんな思いで娘たちを伴ったのでした。

しだれ桜は前年同様、それは見事に咲き誇っていました。
そこは市街地にほど近いというのに、どうしたわけか、花見をする者も少なく、僕たちはゆっくりと見て歩くことができたのです。
娘たちは、あまり写真に写りたがらない年頃になっていました。
でも「おばあちゃんにあげるんだから」と言うと、素直に笑顔で母と一緒に写真におさまりました。

満開のしだれ桜の前で、微笑む母と、僕の娘たち。
僕はこの写真の母を、遺影に選びました。

もう少し若い頃の写真、写りの良い写真もありました。
でも、間違いなくこの時の母は、幸せだったと思う。
事実この日のことを母は日記で、再び「幸せな一日だった」と書き記していました。
そして日記には二度と、同じ言葉は登場しなかったのです。
母の日記が途切れるまで。


今、この記事を書きながらもまだ涙ぐむ自分がいる。
僕は果たして「癒されていない」のだろうか?
今、「自分への癒しの試み」の最終回として、書きながら己を見つめようと思う。

哲学者マルチン・ブーバーは、人は「我と汝」の関係でしか捉えることはできないと解いた。
簡単に言えば、「関係」によってのみ、人は存在しえると。
しかし「我と汝」以外に「我とそれ」という関係もある。
「それ」って何だろうか?
「それ」は無機質で、関係の判断材料にはなり得ても、「我」に積極的に関係してはくれない存在に思える。

イジメにおける「無視」がなぜ辛いのか、それは自身を「汝」として扱ってもらえないことに他ならないとも考えられる。
自身が「其れ」に過ぎないと感じられたとき、人は言いしれようのない孤独に突き落とされるのではないだろうか?

翻って、なぜ僕は母の喪失を未だ悲しむのだろう。
答えは実はすでに出ていて、つまりは「孝行が足りなかった」という後悔の念に突き当たる。
つまり、母の「生きていた時間」で考えようとしているからに他ならない。

なぜ父には「バイバイ」と朗らかに言えたのに、母には言えないのだろう。
つまり、父に対しては「僕の時間」で対峙できたのに、母に対してはできないからに他ならない。

父に対してかなり残酷な仕打ちをした僕は「お化けになって出るなら出てみろ」と思った。
そう思っても平気なのは、父の地平は既に昇華されていたからに他ならない。

母に対して「お化けでもいいから出て来てほしい」と願うのは、僕がまだ母の時間と共に生きているからに他ならない。

つまり逆説的に思うのは、母はまだ僕にとって「我と汝」なのだ。
母を「それ」として認められていないのだ。

しかし現実には、僕の時間は留まることなく進んでいく。
「母の時間」との差異は広がるばかりで、広がれば広がるほど溝もまた深まるばかりである。

僕は「母の時間」を置いて行く必要があるのだろう。
父に対して「バイバイ」と言ったように、母にも「バイバイ」しなければならない。

母の生涯を考察したのは、まさにそのためにどうしても必要な作業だったのである。
考察した結果、見えてなかった母の真実が見えてきた。
母は女性として生き、そして母としても生きていたことを知ることができた。
それはまさしく「発見」であった。

それは母にとっては無意識、無自覚、加えて「ただ自分のため」だったのかもしれない。

しかしそれはもはや、どうでもいいのではないだろうか。

僕が「癌」を受け容れ、感謝したように、一人の女性としての母も、受け容れ、そして心から感謝できるはずである。
ならば、清濁併せ持った母を、僕はそのまま全て受け容れよう。

そう思い至れた刹那(つまりこの記事を書いているたった今)、僕が母に対して言いたい言葉が、自然に浮かんできた。
言いたい言葉=母にぴったりの言葉。

それを記して、「自分を癒す試み」を終わらせたいと思います。
自分の時間を生きるために。

「バイバイ、ありがとう。最高にいい女だったね、お母さんは」
| 自分への癒しの試み | 21:10 | - | - | pookmark |