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カウンセリング未満

自らの生き様を心理カウンセラーの観点から綴った半生記、日常生活に役立つEQトレーニング講座・セルフカウンセリング講座など。
このブログについて
このブログの内容は以下の通りです。

自分への癒しの試み]:メインブログ 全20回(完結)
・・・筆者のセルフ・カウンセリング体験記

EQトレーニング講座]:全9回
・・・人付き合いについてのソーシャル・トレーニング講座

社会論の試み、もしくは雑文]:3回

それぞれの記事は1回目から表示されるようになっています。

わたしの実践したセルフ・カウンセリングはとても根気のいる作業です。
人にはお勧めできませんし、わたしがカウンセラーとしてサポートすることも、あまりに長期化することが予想されるため、お受けできないと思います。
この点をどうかご理解ください。
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ここから
5月に母が急死した。

しばらくはこんな思いから逃れられなかった。
「母を殺したのは自分なんだなーと思う」
実際そう考えるのだけど、こういう思考パターンが過激になっていくと、精神に異常を来すんだろうな、ともふと思った。

癌になったときもそう。
まず「バチが当たった」と最初に思った。
何のバチなんだと問われても、実は答えようがないから「自分は最低の人間だから」などと答えるしかない。

でも、これらの罪悪感って、結局、自分の心を守るためなんだと思うんです。
「自分を悪者にしておけば、とりあえず収まりがつくから」
ドラマや小説でお目に掛かるこんな自己犠牲を、自分が自分に対してしてるんです。

「母を殺したのは自分だ」と思ってしまう根拠も実際にはある(とは言えこれも私的論理ですが)
母は数日前から胃がもの凄く痛いと訴えていた。
(何故この時、無理矢理にでも病院に連れて行かなかったのか?)
「胃が痛い」という訴えは心筋梗塞の場合によく見られる認識で、実際に痛いのは胸なんだそうです。
数日後、訪ねてみると、今日医者に行ってきたと。痛かったのは薬が合わなかったからで、今は痛みも治まったと。なんだか風邪を引いたみたいで、頭がガンガン痛むと。
(何故この時、無理矢理にでも総合病院に連れて行かなかったのか?)

結局その日の夜、母は急性心不全で亡くなったらしい。
発見は翌朝で、近所の知り合いが訪ねて来てのことだった。

母は、子供の世話になる事を潔しとしない人だった。
子供に世話をかけない事が、一番のプライドだったのかもしれない。
何度か同居を勧めても、口では嬉しそうな返事をしていたのに、後に伯父に聞いた話では、まったく同居の意志はなかったらしい。

亡くなった日の昼間、訪ねたとき母は、「あんな痛みは生まれて初めてだよ」と打ち明けた。でも痛みのあるその時は、そんな事、一言も言わなかった。

もともと、足りない孝行に対する後悔がある。
いつも「孝行が足りない」と感じていた。
加えて最後の最後に、母の本当の状況を洞察しようとしなかった。
母の事を本気で考えていたら、ホントは危険な状態なのに、息子に隠していると、推察する事は容易いだろうに。

この、取り返しのつかない後悔で、僕自身がメチャクチャにならないために、逆に「自分が全て悪い」と結論付けないといられない。いわば「開き直り」が必要なんだと思う。

母が死んで4ヶ月が経過。
この間、家族で旅行にに行った。外食もした。買い物も楽しんだ。
でも全て、家族と一緒。
自分のために読書しようか、レンタルで映画見ようか、仕事のために勉強しようか、と思った途端、それが出来ない日々がずいぶんと続いた。
元のブログを更新する作業も、なんだかまだ、やっちゃいけないような気がして、結局ストップしたままになってしまった。
自分自身にポジティブマインドを発揮する事が罪のように思えてならない。
これが後悔の本質であり、この日々の長さが、自分との折り合いなんだなと思う。

2年前の父の死に際しては、こんな精神的な混乱は一切なく、それどころか心のトゲが抜けたようで爽やかですらあったというのに。

愛する者の死は、かくも損失が大きい。
一生に何度もあっては困るけど、僕にとっては初めての体験。

まだ兄はいるけど、なんだか気分は天涯孤独(この感覚は妻子がいても感じられることを知った)
「ここから」始めようと思う。
妻にも語らなかった、語れなかった、亡き両親と自分のこと。

「生きてきた記録」は、僕の歩んできた家族の記録です。
| 自分への癒しの試み | 10:02 | - | - | pookmark |
喫煙室考(上)
【注意!この記事及び僕は、喫煙を推奨するものではありません】

煙草を吸わない人にとって喫煙室は害あるのみで撤去すべき!とお思いでしょうが、僕は喫煙室・喫煙コーナーには、ある一定の特徴があると考えているのです。その特徴が、時にはある人達にメリットをもたらし、同時に別の人達にデメリットを生じさせてしまう、この不思議さについて、自分の体験を交えて書いてみます。

【セミナーでの出来事】

昨年、計5日間にわたる自己開発系のセミナーを受講しました。16人が4グループに分かれて演習などをしたのですが、5日間でメンバーは何度か入れ替わりました。結果、連帯感というか親近感は、ほぼ全員と共有出来るようになります。
で、会場禁煙ですから、休憩時間には喫煙者が喫煙室に集まります(これもたまたま4人)。
するとここで意見交換や情報共有が始まるんですね、人によっては講師の批判まで始めます。つまり喫煙者だけが得られる情報なり意見が出来てしまうのです。
開催者が意図しない、5日間、まったくメンバーの替わらない第5グループの誕生です。

【人に聞いた話(A社)】

ある会社でオフィスを禁煙にし、新たに喫煙室を設けたそうです。
で、どういう事が起こったかというと、喫煙室での喫煙タイムが、突然、業務の打合せになってしまう事が度々起こったというのです。この結果、社内での取り決めや予定などがその場の口頭で決まってしまい、煙草を吸わない者、たまたまその場にいなかった者に話が通っていない、と言う事態になってしまったのです。
A社ではとうとう、煙草を吸わない社員が、喫煙室に社員が集合しているのを見計らい、何となく喫煙室に入るようになってしまったそうです(分煙の意味がまったくありません)。

【人に聞いた話(B社)】

B社も禁煙室設置後、ほぼA社と似た傾向が見られるようになりました。
ただA社と根本的に違うのは、B社の取締役の一人が、本人がヘビースモーカーである事も関係あるのでしょうが、いったん喫煙室に入ると、間違いなく30分は帰ってこないというのです。で、何をしてるのかというと、たまたま一緒になった部下と延々と話をする、その間、煙草も3.4本吸うらしいです。1時間以上も喫煙室にいた事もあると(計っていたのか?!)。
喫煙室に暖房はなく冬はとても寒いのですが、彼はコートを着込んで喫煙室に居座る。これは最早、煙草を吸いたいという欲求以上の何かがあるのではないかと思えてならないそうです(まー、要するに情報収集なんでしょうね)。

喫煙、という行為が人を開放的にするとか、話し好きにするとか、そういう作用はないと思うんです。何故ならオフィスで従来通り自由に喫煙していて、その途端気分が変わって(ハイになって)誰かに話しかける、というシーンは見たことないし、自分も体験した事がありません。
これはあくまで「喫煙室」だけに起こる特異な現象なのではないかと思うんです。

では対抗して、煙草を吸わない人だけを対象にした小部屋を用意したらどうなるでしょう?あくまで憶測ですが、訪れる人は皆無だと思うんです。
喫煙という目的があるから「たまたま」人が集まる、そして「たまたま」集まっただけに過ぎないのに、その集まりに意味が発生してしまう。これは、(特に)組織においては、とても問題なんじゃないでしょうか?少なくても、健全とは思えません。

実際のところ、僕のいる会社も、似たような状況になってると思うんです。企業の健全化のためには、特定の社員だけが有効な情報を共有出来るという事態は改善しなければなりません(だって喫煙者という共通項にはまったく意味がないですからね)。
結局、オフィスのみならず建物全体を禁煙にするしか方法はないのかなーと思う、今日この頃です。
| 社会論の試み、もしくは雑文 | 23:14 | - | - | pookmark |
喫煙室考(下)
【注意!この記事及び僕は、喫煙を推奨するものではありません】

「喫煙室考(上)」では喫煙室に関する弊害について書きました。
今回は、非難を承知で、喫煙室がもたらした恩恵について書きたいと思います。と言うか、僕自身が禁煙室に救われたという、きわめて個人的なケースと受け止めて下さい。

今でこそ全館禁煙になってしまいましたが、僕が手術のために入院していた頃、病院にはまだ喫煙室が存在しました。
この病院には喫煙室が2箇所あって、一つは階段下の半地下の薄暗く狭いところ。ここは病室から近いのですが、緊急時(?)以外は滅多に利用しませんでした。
もう一箇所は、8階建ての病棟の屋上にあり、大きな窓があって明るくて広いところ。もちろん僕は、こっちの屋上喫煙室がお気に入りでした。

入院中の僕は、起床時(6時)・朝食後・10時・昼食後・3時・夕食後・消灯前(9時)と、やたら規則的に喫煙室に通いました。友達や会社の人がお見舞いに来ない限り、2ヶ月の入院中、一日7本というこのペースはまったく変わらなかったのだから、今から思うと驚きです。

やがて(と言う割と直ぐ)、顔見知りの入院患者が出来ました。
名乗りあわなくても、お互いの病状などにも精通するようになって、不思議な連帯感が生じました(常連同士ですね)。たぶん患者は喫煙室でなくても比較的、話し好きになると思うんです。やはり退屈だし、同病相憐れむってヤツかなと思うのですが。

ここで僕は色んな患者さんと出会いました。
直腸癌で人工肛門になった人を、みんなで励ましました。
理不尽な看護婦さんの話題には、みんなが共感しました。
いつも彼氏がお見舞いに来ていた若い女性の死を、みんなで悼みました。
入院前に丸刈りにして、いつもバンダナを巻いていたおじいちゃん。
双子のような他人の患者さん(最初勘違いして、みんなが馴れ馴れしく話しかけた)。
辛い治療や後遺症で悩んでいた人も少なくなかったはずなのに、喫煙室はいつでも明るいお喋りが絶えませんでした。

僕は、とにかくこの喫煙室での雑談が楽しみでした。
抗癌剤のせいで、何も食べられずとんでもなく気持ちの悪かったときも、煙草も吸いたくないのに喫煙室には行きました。
実は白血球が減少してベッド上安静の時(無菌室一歩手前)も、看護婦さんに見つかって咎められやしないかとドキドキしながら、それでも喫煙室通いはやめませんでした(無謀だったなぁ)。

これは癌患者だけの問題ではないと思うのですが、会う人、話す相手が健康な人や医療従事者だけ、と言う状況って、なんだかとても孤独になるんです。病状を比較したいとかそういう事ではなくて、辛い治療で落ち込んだり、看護師や医師の無慈悲な処置に憤慨したりしているのは自分だけではなかった、この境遇の共有体験は、入院生活のQOL向上にとても貢献していたと思うのです。

しかし、お気に入りだった屋上の喫煙室は、今は喫煙テーブルが撤去されただけで、木製のベンチがコの字型に置いてあるだけの空間です。
定期検査の度に行ってみますが、パジャマ姿の入院患者さんを見る事はあまりありません。たまにいても、一人黙って座っているだけです。
僕が再発転移して、再びこの病院に入院するかと思うとゾッとします。

もちろん、娯楽室や図書室でも同じ機能は果たせたのかもしれません。事実、そういう病院もあるのでしょう。
でも、それにしても、あの禁煙室での出会いがとても懐かしいのです。
誤解を恐れず言いますが、あの時、僕は煙草が吸えてホントによかった、ホントに救われました。

病院は、禁煙室のような偶然の産物ではなくて、患者同士が気軽に集いコミュニケーション出来る空間作りを考えてみてはどうなんでしょうか?
入院生活のQOL向上は、設備や医療従事者の質だけが問題じゃないと思うんです。
閉じられた空間で、自分一人じゃないということ、同士がいるということ。そして「痛みを知る人間が人の痛みをいたわる」と言う、病院でしか起こりえない出会いを、大切に出来る仕掛けがあればいいなと、僕は心から願います。
| 社会論の試み、もしくは雑文 | 23:31 | - | trackbacks(0) | pookmark |
[1]人は何故、失敗を繰り返すのか?
EQトレーニング講座[1]人は何故、失敗を繰り返すのか?
EQトレーニング講座[2]どんな感情表現をしていますか?
EQトレーニング講座[3]どうして感情表現を豊かにする必要があるのか?

-------------------------------------------------------------------------家族・友達・部下や同僚との関係で、ついカッとなって、言わなくても良いことを言ってしまったという経験はないですか?
言ってしまった後、きっと後悔すると思います。後悔するのに又繰り返す、
それは「今の自分の感情」を知らないからに他なりません。

人は、こうして動きます。

[事象→感情→行動→結果]

では、結果を変えるには、どのプロセスをチェンジすればいいのでしょうか?

行動?
怒りを隠しながら笑顔で接する難しさ、ストレスの経験はありませんか?
感情を我慢して我慢して、結果的に爆発した経験はないですか?

結果を変えるには、行動を変えなければなりません。
しかし、感情と合致しない行動は、破綻します

感情をチェンジする技術、感情を利用する技術、感情を知る技術
それがEQ
です。

そしてこれは、知らず知らずに私たちが使いこなしているのです。
--------------------------------------------------------------------

【シーン1】

たった今、上司から先月の業績について注意された。
ムシャクシャしなからデスクに戻ると出先の部下から電話。
何度も教えている単純な質問に

対応-A
「そんなことも分からないのか?バカ!」と言って受話器を乱暴に戻した。

対応-B
この部下の商談が決まれば、今月は先月の分を取り返せると考え、丁寧に応えると共に「頑張れ」の一言を付け加える。

この違いはどこから来るのでしょうか?
そしてどっちが相手、そしてなにより自分にとって快適でしょう?
--------------------------------------------------------------------

【シーン2】

会社でムシャクシャすることがあった。
商談は不調に終わり、つまらない発注ミスをして、上司への報告が一件遅れて注意され・・・
たまにはこんな日もあります。

家に帰ったあなたは?

対応-A
乱暴に玄関を開け、服をそこら辺に脱ぎ捨て、ソファーにドカッと座ると、奥さんに「ビール!」と一言。

対応-B
気持ちを切り替え、いつも通りに帰宅。奥さんに「今日は疲れちゃったよー、ビール飲みたいけどいいかな?」と言う。
--------------------------------------------------------------------

その後の奥さんとのコミュニケーション、ひいてはストレスの発散度合いはどうでしょうか?
Aのケースで、この後から「今日は大変だったよー」と言ったとして、奥さんは心から同情してくれるでしょうか?

しかし疑問があるかもしれません。
ムシャクシャしてるのに、その感情を殺して家族と接することで、余計にストレスが増すんじゃないか?

そうです。
ムシャクシャした感情をそのままにして帰宅すれば、八つ当たりするか我慢してストレス溜めるかの、どちらかになります。
そうならない秘密は、実はBの直前にあったのです。

彼は帰宅する道筋で、今日の残りの時間について思いを馳せました。
そして思い出したのです。
「そうだ、今朝、女房が、オレの好物の鰹のたたきを用意するからと言っていた。鰹のたたきをつまみに、女房に今日の出来事を話してみるかな。同情してくれて、いつもの子供の愚痴が減るかも」

彼は、愚痴にならないようにどの様に今日の不運な出来事を語ろうかと考え始めました。
「パパも大変ね〜、いつもご苦労様」とか言われたら、大成功だ。
そう空想し始めたら、なんだかワクワクして来ました。

冒頭の[事象→感情→行動→結果]を思い出して下さい。

「失敗が重なった」という事象は変わりません。「感情」を上手に利用しただけなのです。
自分にとって有利な事柄を考え、そして行動に反映させようとしただけで、彼はムシャクシャした感情を奥さんに八つ当たりすることなく、逆に妻に感謝され、良い気分になることが出来ました。

八つ当たりしていたら大変でしたね。
翌朝、起こしてもらえないで遅刻ギリギリで出社していたかもしれません。

今回のトレーニング
「今の自分の感情を意識してみる」
「意識してから、次に行動する」
| EQトレーニング講座 | 11:03 | - | - | pookmark |
[2]どんな感情表現をしていますか?
EQトレーニング講座[1]人は何故、失敗を繰り返すのか?
EQトレーニング講座[2]どんな感情表現をしていますか?
EQトレーニング講座[3]どうして感情表現を豊かにする必要があるのか?

-------------------------------------------------------------------------前回、「感情を知る」ことが、人付き合いの失敗を繰り返さないコツであると述べました。
しかし、具体的に「自分の感情を知る」とは、どうすればいいのか?と疑問を持たれた方も少なくないと思います。
それを簡単に実現する方法があります。
それは・・・「感じていることを言葉にする」ということです。

そんなの簡単じゃん!と思われた方はいますか?
では質問です。
ぜひ、紙とペンを用意して実際にやってみて下さい。
--------------------------------------------------------------------

Q1:今から1分間で「気分が明るくなる言葉」を出来る限り、あげて下さい
  いかがでしたでしょうか?
  10コ以上、あげられた方はいましたか?
  たぶん、5コ〜8コくらいだったのではないかと思うのですが。
  5コ以下だった?
  そうだった方はぜひ、続きを読んで下さい。
--------------------------------------------------------------------

感情とは基本的に「喜怒哀楽+恐怖」の5パターンです。
嬉しい、怒ってる、悲しい、怖い、これらの感情は、だいたい誰でも間違うことなく言い表せると思います。

しかし例えば「怒り」に関して、それはいったいどの程度の怒りなのか、殴りたいほどの怒りなのか、悪態をつけば済む程度なのか、すぐに忘れられる程度の怒りなのか、怒っているときに考えてみたことはありますか?
実は感情は、言葉にして初めて、「本当の感情」になるのです。
言葉にする前は、漠然とした、大きなくくりの「感情」に過ぎないのです。

前回の最初のシーンで、

対応-A「そんなことも分からないのか?バカ!」と言って受話器を乱暴に戻した。

と、やってしまったのは、まさに怒りが「大きなくくりの怒り」のままで、「殴りたいほどの怒り」なのか、「一息入れれば収まる程度の怒り」なのか、分かってなかったからに他なりません。

しかし「それが出来たら苦労しないよ!」と思われるかも知れません。
しかしです。
「感じ方のクセ」は、性格や遺伝子とは違うのです。簡単なトレーニングで、ほとんどの場合、変えることが可能なのです。

それは何か?
「口を開く前に5秒待つ」
ぜひ、これを実行してみて下さい。

すぐに出来なくてもいいのです。
第一段階は、言ってしまった後「あ、言っちゃった!」と思えることです。
これを繰り返せばある時、突然ぐっと我慢が出来るのです。
そしてココロの中で「1,2,3・・・」と数えて下さい。
恐らく、さっきまでの怒りは、収まっていることでしょう。

あわせてQ1の「気分があかるくなる言葉」を、20コ前後、書き出せるようにして下さい。その理由は次節で。

今日のトレーニング
「感情を表す言葉を出来るだけ用意する」
「カチンと来たら、口を開く前に5秒待つ」
| EQトレーニング講座 | 15:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
[3]どうして感情表現を豊かにする必要があるのか?
EQトレーニング講座[1]人は何故、失敗を繰り返すのか?
EQトレーニング講座[2]どんな感情表現をしていますか?
EQトレーニング講座[3]どうして感情表現を豊かにする必要があるのか?

-------------------------------------------------------------------------どうして前回、「気分があかるくなる言葉を20コ書き出す」ことを宿題にしたかというと、EQの立場として、「人は言葉によって感情を理解し、感受性を高める」と考えるからです。

思い浮かばなかった、難しいと感じられた方はいましたか?
でも大丈夫です。とても簡単な「感情表現を豊かにする方法」があります。
しかしその前に、どうして感情表現が少ないとよくないのかについて、説明したいと思います。

たとえば「楽しい」と「元気が出る」と「満足している」という状態を、あなたはどう実感していますか?
3つともが「喜怒哀楽+怒」のうちの「喜」に含まれることは、了解いただけると思います。しかし3つが3つとも「嬉しい感じ」と同義でしか受け取れなかったり、様々な気持ちの状態、その程度を少ない言葉で受け止めたりしていると、やがて「感情のディスカウント」現象がおきます。

「感情のディスカウント」とは、感情表現がオーバーになるにつれて、逆に感受性が乏しくなるという、尾内の造語です。

たとえば、何でもかんでも「サイコー!」と言っていると、「あの時」のサイコー!と「今の」サイコー!の、その最高の程度が分からない。
つまり本来、最高の喜びや発見に対して表現すべき言葉の値打ちが下がってしまうのです。
(英語圏でも同様の傾向は見られ、単なる挨拶替わりに「Great」を用いる例もあると聞きます)

あなたは「本当に最高な出来事」に遭遇したとき、「サイコー!」以外の言葉で、その気持ちを表現出来ますか?
しかしこの問題は、流行とも密接に関係し、非常に複雑なのは、単に自分が意識していれば済む次元でもないようです。

今(2006年)、若い女性達の間では「カワイー」かキーワードになっていますが、彼女らは「綺麗」も「愛らしい」も「素敵」も「カッコイイ」も全て「カワイー」の一言で完結させてしまいます(キモカワイイという表現すらあります)。

確かに便利だとは思います。
人間関係が希薄化している現代で、友人と感受性が異なることは、絶対に避けなければならない。本来、わたし達が持っている繊細な感受性が、薄氷のような友人関係の維持にとってアダとなってしまうのです。
だからわたし達は、なるべく少ない言葉で多くの出来事、気持ちを言い表そうとするのです。

しかし、何でもかんでも「カワイー」と言っているうちに、自分自身が「カワイー」以外の感受性を失ってしまうかも知れない。
この状態が進むと、何か問題が起きたり、悩みを抱える事態に陥ったりしたときに、少ない語彙で、自分の問題を解決しなければならない、もしくは誰かに伝えなければならない。
それはとてもストレスを伴うことではないでしょうか?

で、「気分が明るくなる言葉、20コ」です。

「いきなり言われても、そんなにいっぱい浮かばない」
そんな、あなたのために簡単なトレーニング法があります。

是非、小説や絵本を手にとって、ページを開いてみて下さい。
一日、5分で十分です。中身をちゃんと読む必要はありません。だから難しくも面倒でもないのです。

あなたはただ、ぱらぱらとページをめくって、感情を表している言葉を見つけて下さい。
そして「これは、気分が明るくなる言葉だ」と感じたら、それをノートや手帳に書き写しておいて下さい。同様に「これは、悲しみを表している言葉だ」と感じたら、これも書き写しておく。【感情発見ゲーム】

そうやって書き出した言葉が増えてきたら、自分の今の気持ちとピッタリする言葉はどれか、当てはめてみて下さい。【感情言い当てゲーム】

これを繰り返すだけです。
しかしいずれ「今の気持ちを言い表している言葉はこれだ!」という体験が必ず訪れます。この体験を何度も繰り返すうちに、今はただ羅列されただけの言葉が、いつの間にかあなたの「本物の感受性」へと変化するのです。

ぜひ試してみて下さい。
お金も時間もかかりません。

今日のトレーニング
「『サイコー!』以外に、最高な出来事を喜ぶ言葉を見つける」
「『カワイー』以外に、素敵な物を表現する言葉を見つける」
| EQトレーニング講座 | 13:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
[4]どうやって怒りをおさえていますか?
EQはソーシャルスキル、つまり「人と人との関係の中で円満に自分らしさを発揮する力」です。
これを逆から考えると、EQが低いと「円満な人間関係」を営むことが困難になるという危険性を秘めます。

「感情のディスカウント」の持つもう一つの問題点、それは「怒」に対する言葉の少なさです。
怒りには本来、実に多様な言葉があります。
「うるさく感じる」「苦々しい」「かっとする」「うんざりする」「がっかりする」「イライラする」「我慢ならない」「しゃくに障る」「はらわたが煮えくりかえる」等々
しかし最近の若者の傾向として、これらの気持ちをなんでもかんでも「ウザイ」や「ムカツク」で表現してしまっているように感じられます。

繰り返しますが「怒り」には様々な感情があります。
「うるさく感じる」も「はらわたが煮えくりかえる」も怒りの感情です。
しかし「うるさく感じる」のと「はらわたが煮えくりかえる」の間には、とても大きな距離があるはずです。というか、あったはずです。
そして人間は「うるさく感じたら」文句を言う、無視する、などと対処し
「はらわたが煮えくりかえる」と感じたとき初めて、暴言を吐く、ものに当たる、暴力に訴える、という過程を経ていたはずです(暴力での反応を肯定しているわけでは、もちろんありません)

しかし両方を「ムカツク」の一言で感じてしまったとき、
「うるさく感じる」=「暴力に訴える」が当然の関連として成り立ってしまうのではないでしょうか?自己意識の中では?

更に「ブッ殺す!」も頻繁に口にするようですが、本気でない「ブッ殺す」という言葉だけが一人歩きして、本当になってしまったような事件が後を絶たないのは、とても悲しく、やるせないことです。
「うるさく感じる」=「ブッ殺す」=(本当に殺してしまう)

最近の「キレる」青少年が増加している原因に関して、医学的なアプローチもなされるようになり、原因と対処方法についても研究が重ねられているようですが、EQの専門家、カウンセラーの立場として私は、この「感情のディスカウント」現象も、「キレる」要因の一つなのではないかと考えています。

ところが、先に「明るくなる言葉」を20コあげられますか?と質問しましたが、「怒りを表す言葉」で同じ質問をすると、もしかしたら半数近くの人が20コ以上あげてしまうかもしれないのです。
ぜひご自分でも試してみて下さい。
20コあげられなくても、たぶんほとんどの人が「明るくなる言葉」よりも多くあげられたと思うのです。
これは何を表しているか?

人が社会で生きていき上で、喜びを表現出来なかったことによる不利益・衝突はそれほど起こりえないのではないか?
しかし怒り=不快感を上手に伝えておかないと、衝突は無論のこと、自分が不利益を被ることも起こりえるわけで、そう言う意味で人は、無意識に怒りや不快感を表す言葉を寄り多く作り上げてきた、わたしにはそう思えるのです。

最後に「怒り」をコントロールする簡単なトレーニング法をお教えします。
先に「カチンと来たら、口を開く前に5秒待つ」というトレーニング法も紹介済みですが、一歩推し進めて、こんなトレーニングはいかがでしょうか?

「反対語をみつける」
漢字検定じゃないのだから、正しい反対語を覚える、って意味じゃありません。
自分が正反対の感情を表す言葉だと思えればそれでいいんです。

日常の様々なシーンで、あなたはムシャクシャしたりカチンと来たり憤慨する出来事に遭遇します。
たとえば理解のない上司に嫌味を言われてカチンと来たとします。
面白くないから、自分のデスクに戻ってから、これ見よがしにため息ついたり、乱暴に引き出しの開け閉めをしたりしませんか?
「ったく、やってらんねーよ」とココロの中で感じているかも知れません。

このままムシャクシャした感情をいつまでも持ち続けていると、残念なことに自分にしっぺ返しが来ることになります。
全然関係のないOLに当たって機嫌を損ねてしまったり、この後のデートで、恋人に当たってケンカになってしまうかも知れません。

こんな時、ココロの中で是非、今のこのムシャクシャしている感情と正反対の感情語を考えて下さい。
「ムシャクシャ」の反対語
・さわやか
・快調
・爽快
・快適
・ラッキー
こんな感じでいいのです。
出来ればもっと沢山、思い描いて下さい。

そしたら自分のココロの状態をもう一度確認して下さい。
少し、ほんの少しかも知れませんが、さっきより不快感が薄れてはいませんか?
更に続けると、いつの間にかムシャクシャしていない自分に気付くことになると思います。
(人によっては、ムシャクシャしていた自分が恥ずかしく感じたりもします)

これはどういうことかといいますと、まさに人は「言葉によって気持ちを確認する生き物」だからなのです。

いかがでしょう?
例として、あまり気分の良い話ではありませんでしたが、発想を逆転してみると、「言葉の数次第で、喜びも大きくなり、怒りや不満は小さくも出来る」と言えるのです。

今、自分が何をどの様に、どの程度感じているのか?
それをなるべく多くの言葉で多様に表現することで、この「感情のディスカウント」は防げることを是非知って下さい。

今日のトレーニング
「怒りを感じているときは、反対語=気分が良くなる言葉を唱える」
| EQトレーニング講座 | 18:24 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
[5]どうして気持ちが空回りするのか?
気持ちが空回りした経験はありませんか?
自分はやる気満々なのに、なぜか周りが白けていた。
頑張って一所懸命やったつもりだったのに、誰も一緒にやってくれなかった。
「いつもそう」とか
「そういうこともあったなあ」とか
「あまりない」など、色んな答えがあると思います。

今回は「いつもそう」「そういうことが少なくない」という方へのお話。

EQの8つの力の一つ「受け容れる力」は3つの要素で構成されています。
(1)本音で話す方ですか?(オープンネス)
(2)人の気持ちを察する方ですか?(情緒的感受性)
(3)周囲に気を配るほうですか?(状況モニタリング)
               ※( )内は、(株)EQジャパンによる分類法

いつも気持ちが空回りしているあなたは、
誰とでも打ち解けて本音で話す方だけど(オープンネス)、
人の気持ちを察するのが苦手(情緒的感受性)で、
周囲に気を配るのを忘れがち(状況モニタリング)なのかも知れません。

つまり、あなた自身は表裏なく人と接することが出来るのですが、残念なのは「場の空気」を読んでいないのです。

例えば、友達と話が盛り上がっているときに「その話、興味ないんだ」と言ったとします。
あなたは、開けっぴろげだし嘘は嫌いだから、思ったことを思った通りに友達に伝えただけです。そうするのが自分に正直だし、一番いいと思っているから。

でも残念ながら友達はそうは受け取ってくれません。
「あのコがいると白けちゃう」と陰口叩かれるのがオチです。

逆のケースもあります。
友達と遊び疲れてみんなが無口になってるときに「ねえねえ、盛り上がろうよ!」と一人はしゃいでも、きっと誰も乗ってきてくれないし「ったく、ウザイやつ」と思われるだけでしょ。

でもこのケースでは、なんだかどんよりしているその場の空気を、あなたは変えたいとし思っただけなんですよね。
だから、あなたは自分中心に友達を振り回そうとしたわけではなく、あなたなりに、みんなのことを思っての発言だったわけです。

ところが何故か、あなたの誠意はまわりに伝わらない。

この「気持ちが空回り」の問題点は、「この辺がたりないよ」と誰かに指摘されても、元々あなたは必要ない、または正しくないと感じているので、改善への気持ちの切り替えが難しい、というか、何が問題なのかが理解出来ないことにりあます。

何しろあなたは、自分は裏表なくオープンで、誰とでも本音で話すタイプだと自覚しているから。
嘘は付かないことが、あなたの信条であり美徳なのです。
だから[周りに気を配る]<[周りを気にする]<[人の言動を監視する]といった感じで、思い込みを激しくしているのではないでしょうか?

しかし、あなたは、気持ちが空回りしていることを感じています。
そしてそれは、淋しくもあり、悔しいことでもあります。

だから、出来ればなんとかしたいとも思っている。

この思い込みから解放されて、より豊かな交友関係を築くためには、日常の様々なシーンをふり返り、一つ一つ検証していく作業が大切です。
具体的には、「意識して」人の気持ちを思い描いてみるのです。
そしてここでも「5秒待つ」のです。

例えば、あなたは今日、とても良いことがあって、誰かに話したくてうずうずしています。
夕方、友人と会うことになっているので、会ったら絶対自慢しようと思っていました。
今までのあなたなら、会って席に着いた途端、一気に喋り始めたでしょう。

しかし今は違います。
直ぐにも話したいけどぐっと我慢して、頭の中で5秒カウントしながら、友達の様子を観察しました。
あれ?なんだか元気がないなー。風邪でも引いちゃったかな?なにかイヤなことでもあったのかな?
そう感じたあなたは、自然と「どうしたの?元気ないみたい」と問いかけます。
すると友達は、びっくりしたように目を見開くと、やがて泣きそうな感じで、恋人が浮気しているらしいと、話し始めました。

どうですか?
友達の様子を気にしないで、自分の喋りたいことを得意げに喋っていたら、どうだったと思います?

友達はひとしきり喋ると、あなたに感謝しました。
「ゴメンね、つまんない話、聞かせちゃって。でも気を遣ってくれてありがとう。嬉しかった・・・」

この変化は、あなたの性格が変わったからではありません。
あなたの持つEQを構成する一つの要素が弱かったので、そこを強くしようとあなたが自覚して学習した結果によるのです。

EQは性格論に陥ることなく、弱い部分を意識して強化する、反対に、強く出過ぎる部分は意識して抑制する、そうすることによって、まるで性格が変わったかのように、人間関係を豊かにすることを目標とします。

誰もが一度で自分を変えるなんて事はできません。
意識して一つ一つ繰り返して、実体験して、人の気持ちを観察することは悪いことではない、それどころか、自分に正直であるのと同等に大切なことなんだと、自分自身で気付いていけば、その気づきは間違いなく、あなた自身のものになるのです。
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[6]冷たい人だと言われることはありませんか?(上)
「クールだね」とか
「いつも冷静」や
「あなたって醒めてる」など、突き詰めれば
「あなたは冷たい人」
と言われたことはありませんか?

今回は、自分ではそれなりに感情も豊かだし、温かい感情だって持ってる、
だけど、友達にもそれが分かってもらえず、淋しい思いをしているあなたへの話です。

EQの8つの力の一つ「自己表現力」は2つの要素で構成されています。
(1)感情表現は豊かだと思いますか?(情緒的表現性)
(2)表情は豊かだと思いますか?(ノンバーバルスキル)
               ※( )内は、(株)EQジャパンによる分類法


少し乱暴ですが分かりやすく説明すると、
あなたは「感情表現は豊か」だと思っているが、上手に表現出来ていないのではないでしょうか?

ノンバーバールスキルとは、言葉以外で、自分の気持ちや考えを相手に伝える手段のことです。

かつてメラビアンという心理学者が、人が誰かと初対面で会ったときに受ける印象を決定付ける要素を実験によって分析しました。
相手方に与える印象の度合(比率)は、
(1)「話の内容」が7%
(2)「話し方」が38%
(3)「ノンバーバール」が55%
であったことから、実に93%が言葉の意味以外で気持ちや雰囲気を感じ取っていることが分かったのです。

これが有名なメラビアンの法則です。
(最近では「人は見た目が9割」などの新書がヒットし、広く知られるようになりました)

ただ割と誤解されているのがノンバーバルとボディランゲージはイコールであるという認識です。
ノンバーバルは「バーバル(言語的)でない」つまり、言葉以外の全ての表現手段を指します。
だから勘違いして欲しくないのは、温かい人だと言われたいから「オーバーアクション」すればいいのではないのです。

これはわたし自身の体験ですが、実はわたしもかつて、「冷たい人である」とか「いつも怒ってるみたい」などと言われることが少なくありませんでした。
「冷たい」と言われることはまだよかったのですが「いつも不機嫌そう」とか「つまらなそう」と思われるのは、仕事や、様々なセミナー、交流会などで明かなマイナス点です。

そこでわたしは、鏡に向かって自然な笑顔を作る練習をしました。
具体的には、何もしていないときに「明るい」や「優しい」と感じてもらえる程度に顔の筋肉を意識出来る練習です。
やりすぎていつもニコニコしていても変ですからね。

実は、この練習によってわたしのイメージは激変したのです。

心理学系のセミナーや研修では「ジョハリの窓」(人には(1)自分には自分が知っている、(2)自分も相手も知っている、(3)自分は知らないけど相手は知っている、(4)自分も相手も知らない面があるという考え方です。いずれ解説するかも知れませんが、気になる方はネットで検索してみて下さい)を確認するために、自分はどう見られているか受講者同士で話し合う、という機会が頻繁にもたれます。

この練習を始めてからわたしは、ほとんどというか間違いなく「穏やかそう」や「優しそう」「親しみやすい」と表されるようになったのです。

わたしの本質は何も変わってませんよ?
ただ一つ、自然な笑顔を作る練習を少しだけしたに過ぎません。
そしてわたしは、この結果にとても満足しています。

このように、無理してボディランゲージを多用したりオーバーアクションで反応したりする必要はまったくないということがお分かりいただけたでしょうか?

しかしそれにしても
「わたしは笑顔が苦手」
「どう微笑めばいいかわからない」
とおっしゃる方がいらっしゃるかも知れません。
でも、大丈夫です。
わたしだって、わからなかったのですから。

最初はとても不自然でした。
無理に作ろうとすると、大笑いしている顔にしかならなかったり、不細工な蝋人形のように歪んだ笑顔になったりました。

そして実は、一番苦労したのは鏡に向かって自分と見つめ合う、ということでした。
別に誰かに見られているわけでもないのに、なんだか恥ずかしいのです。

しかしある時、わたしは重大なことに気付いたのです。
「わたしは鏡の中の自分を見つめられないように、自分自身を見つめようとしてこなかったんだ」と。

人にどう見られても自分は自分。こういう考え方が間違ってるわけではありません。
しかし人間社会で生きていく以上、人前でどう振る舞うのが相手を落ち着かせたり安心させることになるのか? そのことに意を介さなかった自分に気付いたのです。

純粋に、わたしは申し訳なかったと思いました。
それでも親しくしてくれる友人達に感謝しました。

こうしてわたしは、わたし自身のためというより、わたしと出会う人全てに、良い出会いをもたらしたくて、自然な笑顔を自分のものにするための練習に励めたのです。

いかがでしたか?
今回はわたし自身の体験を、EQの高め方のヒントになれば思い話しました。

自分の思いと相手の印象については、また別の角度から考察することも可能です。
次回は、そんなもう一つの切り口についてお話ししたいと思います。
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